前橋地方裁判所 平成8年(行ウ)5号 判決 2000年1月28日
原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
岡村親宜
被告
地方公務員災害補償基金群馬県支部長小寺弘之
右訴訟代理人弁護士
丸山和貴
同
安西愈
同
井上克樹
右訴訟復代理人弁護士
込田晶代
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求の趣旨
一 被告が平成5年2月15日付けで原告に対してなした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
第二事案の概要
一 本件は,消防吏員であった甲野太郎(以下「太郎」という。)の妻である原告において,太郎が勤務中に急性心不全で死亡したのは公務上の事由によるものであるとして被告に対して行った公務災害認定の請求に対し,被告が地方公務員災害補償法45条1項に基づき公務上の死亡とは認められないとの公務外認定処分(以下「本件処分」という。)をしたことから,原告が同処分につき違法であるとして取消しを請求する事案である。
二 争いな(ママ)い事実等(争いのない事実及び各項掲記の証拠により認められる事実)
1 太郎の経歴等
(一) 太郎は,昭和26年5月13日生まれの男性であって,昭和57年10月23日に原告と婚姻し,その後二子をもうけた。
(二) 太郎は,昭和51年4月1日に桐生市消防吏員として採用され,その後,昭和55年4月1日から薮塚・笠懸分署,昭和57年4月1日から中央分署,平成4年4月1日から南分署に順次勤務した。
中央分署に勤務を始めた昭和57年4月,その頃発足した桐生市消防署特別救助隊(レスキュー隊)の救助隊員となり,その後,昭和62年4月1日に消防士長,昭和63年8月30日に第1中隊特別救助隊長代行となり(同年10月21日まで),平成元年4月1日からは第2中隊特別救助隊長を務めた。
また,太郎は,平成3年8月27日から同年10月27日までは,消防庁消防大学校(救助科)に入校し,特別救助技術等についての研修を受けた。
太郎は,平成4年4月1日に南分署に転勤してからは第2係の総務係で施設担当の主任士長となった。
(<証拠略>)
3 太郎の疾病発症の状況
太郎は,平成4年5月13日午前2時30分ころ,南分署において勤務中,仮眠していたところを火災出動指令により起こされ,消防車に乗り込んだ直後,全身痙攣状態となり,桐生厚生総合病院に搬送されたが,同日午前3時20分,急性心筋梗塞(以下「本件疾病」という。)を発症し,急性心不全により死亡した。右死亡は,太郎が41歳になった当日であった。
(<証拠略>)
4 本件処分
原告は,右太郎の死亡は公務上の死亡であるとして,被告に対し,地方公務員災害補償法45条1項に基づき公務災害の認定を請求したところ,被告は,平成5年2月15日付けで,太郎の死亡は公務上の死亡とは認められないとして,本件処分をなした。
(<証拠略>)
5 審査請求等
原告は,本件処分を不服として,地方公務員災害補償基金群馬県支部審査会に対し審査請求をしたが,同審査会は,平成6年8月26日付けで審査請求を棄却する旨の裁決をした。原告は,地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが,同審査会も,平成7年9月20日付けで再審査請求を棄却する旨の裁決を行った。
(<証拠略>)
三 争点
本件の主たる争点は,太郎の死亡の公務起因性の有無であり,これに関する双方の主張は次のとおりである。<以下略>
第三当裁判所の判断
一 判断の前提事実
前記「争いな(ママ)い事実等」の事実と証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
1 太郎の勤務内容
(一) 中央分署当時(昭和57年4月1日から平成4年4月1日)
(1) 中央分署における太郎の勤務形態は,基本的には午前8時30分から翌日の8時30分までの24時間勤務で,午後0時から午後1時までと午後5時から午後6時までが休憩時間,午後9時から翌午前7時までが仮眠時間となっていたが,休憩,仮眠時間であっても,事故等が発生すれば出動指令に従い救助出動していた。
また,勤務は2班による交替制になっていて,勤務日と非番日を繰り返し,その外に8週間に10日の割合で非勤務日(通常の日勤者の日曜日に相当する労休,指定週休に相当する休日,年休など)があった。
勤務に当たっては,太郎は,出署すべき時刻の30分くらい前に着くために,朝7時くらいに家を出て,24時間勤務を終えて翌日の午前9時くらいに帰宅することを習慣としていた。
(2) 太郎は,中央分署勤務当時は特別救助隊(レスキュー隊)に属していたが,同署における特別救助隊員は,2隊で各8名,合計16名であった。
特別救助隊員は,事故発生時に救助出動として現場に出動するほか,火災発生時に消防隊とともに火災現場に出動することもあったが,出動がない場合は,救助術の訓練や書類の整理,清掃,勉強,防火指導のための会社訪問や立入検査等をしていた。
桐生市においては,平成4年前後のころは,救助出動は年50~60回,火災出動が3日に1回くらいあった。
(3) 太郎は,休日や勤務明け(非番日)などの空いた時間には,特別救助隊の技術向上を図るため,県内や千葉県,埼玉県などの近県の消防署等へ出かけ,訓練の様子をビデオで撮影するなどして情報収集に当たっていたが,この情報収集は,特に上司の指示に基づくものばかりではなく,概ね太郎が自主的に行ったものであった。
また,太郎は,自宅にいるときも多くの時間を消防に関するビデオの編集や資料整理などにあて,テレビ番組,新聞雑誌等に災害関連,救助関連のものがあれば,必ずチェックするようにしていた。
原告からすると,右のような作業をしているときの太郎は楽しそうに見え,太郎自身も「訓練に終わりがなし。」と言って,桐生市のレスキュー隊を全国レベルのものにするのを目標にしていた。
(二) 消防大学校入校時(右(一)の期間の平成3年8月27日から同年10月22日)
(1) 消防大学校での訓練は,各地の消防本部において,実際の救助活動に携わってきた者を対象として,救助業務の監督者及び指導者として,安全確実な指揮・訓練方法を修得し,指導者,監督者としての資質の向上を図るものであった。
(2) 右期間中は,午前9時から午後5時まで,休憩を除き1時間を1時限として7時限の日課が組まれ,各種講義・講話の他,ロープ進入,降下,渡過要領などの救助活動実技のカリキュラムが16日間分含まれていた。
日曜日と祝祭日が休日となり,土曜日が半休であった。
(3) 学生は,自主的活動として,早朝の時間帯に1周約200メートルのグラウンドを3周程度ジョギングすることを日課としていたが,太郎は,皆が3周するところを1周しか走らず,また,常に一番最後であった。
(三) 南分署当時(平成4年4月1日以降)
(1) 南分署においては,出勤・帰宅時間,勤務時間,休憩,仮眠時間は右中央分署当時と同様であるが,休日は4週間に6日であった。
(2) 太郎は,南分署では,第2係総務係施設主任として勤務し,消防施設の管理などの事務職を担当したほか,救急隊員も兼務し,救急事故発生時には救急車に乗車しての救急出動や,火災出動の際にはポンプ車(消火栓から水を汲み上げ,放水を担当するタンク車に給水するための車)の運転を担当していた。
2 本件発症前の出勤状況
平成4年1月1日から同年5月13日までの太郎の出勤状況は,別紙1のとおりであり,全134日のうち,労休や休日を合わせて非出勤日は32日間で,うち2連休が12回,4連休が2回あった(なお,太郎の勤務形態は,中央分署,南分署いずれの場合も24時間拘束であったから,勤務明けの日(午前8時30分までの勤務時間終了後に帰宅)も出勤日としている。)。
また,本件発症前約1か月(同年4月12日から同年5月12日まで)の勤務状況は別紙2のとおりであり,1日2時間ないし4時間の通信業務のほかは,広報や点検業務などを行い,右1か月間で救急出動は12回見られた。なお,毎年,レスキュー隊員の技術指導会(大会は,年1回で,7月に群馬大会,関東大会,8月に全国大会)が行われ,桐生市消防署の特別救助隊員の他,分署勤務の隊員の中からも出場者が募られるが,桐生市消防署には訓練塔がなく,南分署にはあったため,特別救助隊も南分署で訓練を行うことがあり,このころ太郎も南分署において指導会の訓練に携わっていた。
3 本件発症前日から当日にかけての状況
(一) 太郎は,本件発症前日の平成4年5月12日,朝8時30分から勤務を始め,午後1時から4時40分まで救助訓練を行ったが,その間の1時間くらいは草むしりをした。
訓練終了後の午後7時30分ころ,太郎は,夕食(弁当,煮込みうどん2杯)を摂り,待機室で他の隊員と共にテレビを見た後,午後9時50分ころ,仮眠室に入って仮眠を取った。仮眠中の太郎は,普段よりも激しいいびきをかいていた。
(二) 太郎は,翌13日午前2時30分ころ,火災出動指令を受けて,出動準備をし,待機室で帽子と上着を着用し,火災現場の確認をし,保管場所から乗車する消防車の鍵を取り,長靴,防火衣,ヘルメットを消防車に積み込み,消防車の鍵を上司に渡し,自分は,救急車の方に行ってAT(ママ)Mの操作をし,消防車に乗り込んだ。この間の移動距離は約60メートルである。
太郎は,消防車のドアを閉めた後,背もたれにもたれかかったまま荒い息を繰り返し,同僚の呼びかけにも応えず,間もなく全身痙攣を起こし,いびきをかいていたため,同僚が,直ちに太郎を病院に搬送した。
4 当日の気象状況
本件発症当日の午前2時くらいの気象状況は,気温約12度,風速0,曇りであった。
5 太郎の生活状況及び健康状況
(一) 太郎は,生後1か月のころ,足利市の健康優良児となり,小学校6年生のころにも健康優良児に選出されたことがある。
学生時代には,陸上やバレーボールをし,結婚後は,全日本スキー連盟1級の認定を受けたほか,スポーツ少年団指導員や日本体育協会公認体力テスト判定員の資格を持ち,毎年12月と3月にはスキー教室に指導員として参加していた。
(二) 太郎は,昭和55年ころの採用試験時の検診では,身長170センチメートル,体重70キログラムであったが,平成3年6月25日の消防大学校入校時の検診では,身長169.7センチメートル,体重86キログラムとなっていた。
(三)(1) 太郎の血圧測定値の変遷は,次のとおりである。いずれも,上が収縮期,下が拡張期であるが,一般に,正常値は,140未満/90未満とされているところ,左記数値は殆どこれを超えている。
昭和58年11月16日 144/94
昭和59年10月17日 148/100
昭和60年2月20日 134/90
昭和60年10月22日 140/90
昭和62年3月26日 140/90
昭和62年10月2日 154/100
平成2年3月6日 160/100
平成3年6月25日 132/90
(2) また,血液検査の結果は次のとおりであり,何度も精密検査を指示されている。
昭和61年10月27日 異常なし
昭和62年10月12日 精密検査を要する
昭和63年11月28日 精密検査を要する
平成元年11月29日 精密検査を要する
(3) さらに,総コレステロール値も次のとおり,正常値220mg/dlであるところ,これも殆ど超えている。
昭和62年10月12日 244
平成元年11月29日 242
平成2年11月28日 234
平成3年11月20日 212
(四) 太郎は,酒を好んで飲むということはなかったが,かねてタバコを吸い,喫煙量は1日2箱から3箱(40本から60本)であった。
(五)(1) 太郎は,特別救助隊員となって間もなくの昭和58年ころから,訓練時に他の隊員には「走れ,走れ」と言いながら,自分では走らないことがあったし,平成3年に消防大学校に入校した際は,朝のランニングなどでは,皆が3周するところを1周しか走らず,常に一番最後であり,少し走ると顔を赤くして肩で呼吸していた。また,同年11月8日ころには,中央分署における朝の点検後のランニングも隊員と走らなかった。
(2) 太郎は,妻である原告と共に,平成3年12月31日,足利市の「毘沙門天」のあくたい祭りに出かけたが,山道を登っていく途中で,何回か立ち止まり呼吸を整える様子であった。その際,原告は太郎に人間ドックに入って,検査を受けるように進めたが,結局,受検することはなかった。
(3) 平成4年5月7日に行われた消防署の月例訓練(各署合同によるポンプ操法の合わせ訓練)では,太郎は,操法終了後,顔面蒼白で「気持ちが悪い。」と言い,顔面にはかなりの汗をかき,息苦しい様子で,他の隊員からジュースを一口もらい約10分くらい休んでいたら,落ち着いた様子になった。
6 医師の意見の要旨
太郎の死亡と業務との関連性についての医師の意見の要旨は次のとおりである。
(一) 桐生厚生総合病院の石川博医師(<証拠略>)
心筋梗塞の原因は動脈硬化であるが,そのリスクファクターとしてはストレスもあり,患者(太郎)の同僚の話や家族の話からすると,患者にはかなりのストレスが加わっており,そのことが発症の原因となっていることは否定できないが,他の原因も関連していると考えられる。
(二) 福井医科大学環境保健学講師の伊木雅之医師(<証拠略>)
被災者の死亡は,過重な労働の中で増大したストレスが肥満や喫煙と相まって虚血性心疾患を自然的経過を超えて増進させ,深夜の火災出動が最後の引き金を引いて,被災者を死に追いやったものと理解するが(ママ)医学的に妥当である。被災者に救急業務と新たな職責のストレスをかけず,救助に専念していれば虚血性心疾患をこのように増悪させることはなく,また,被災者の健康状態の悪化を察して,日勤の業務に就かせていれば,最後の引き金は引かれずにすんだはずであるから,本件は公務上の災害であるといえる。
(三) 千葉健生病院院長の長谷川吉則医師(<証拠略>)
太郎の死亡は,死亡年齢が満41歳であること考(ママ)慮すると,勤務によるストレスの他に高血圧症,肥満,喫煙の危険因子も認められるが,勤務の負担がこうした危険因子の存在の下で冠状動脈硬化症を発症させ,その自然的経過を超えて増悪させた結果,急性心筋梗塞を発症させて死亡したと考えられる。
(四) 静岡市立静岡病院院長の柳沼淑夫((ママ)<証拠略>)
急性心筋梗塞は,動脈硬化症を基礎とするものであるが,動脈硬化症のリスク要因は高脂血症,高血圧,糖代謝異常,喫煙習慣,肥満,高尿酸血症などであり,公務は動脈硬化症のリスク要因とは考えられない。太郎は,肥満,高血圧などの危険因子を有し,平成3年8月ころから労作型の心不全を発症し,次第に増悪し,不安定狭心症に伴う心不全状態となり冠状動脈病変の自然経過の中で,結果的に死に至ったものである。急性心筋梗塞はいついかなる場合にも起こるのであり,交替制勤務が虚血性心疾患の原因となるとの研究あるいはデータもなく,本件交替制勤務は,これが消防隊員になった以降継続して行われていることからしても,特に過重とはいえない。
7 心筋梗塞の発生機序等
(一) 虚血性心疾患とは心筋が必要とするだけの血液が不足するために生ずる心筋障害を意味するが,そのうち心筋梗塞は,心筋が不可逆性の壊死に陥った疾患をいう。近時,急性心筋梗塞のほとんどは冠状動脈のプラーク(粥腫)に破裂や亀裂が生じ,それに続いて冠状動脈内腔に血栓が形成されて内腔が閉塞ないしは亜閉塞されるために発生することが明らかにされ,プラークの発生は動脈硬化がその原因となるが,動脈硬化の危険因子としては高コレステロール血症,喫煙,高血圧,肥満,運動不足等が一般に知られている。特に冠状動脈の動脈硬化と最も関係があるのが,コレステロールや喫煙と指摘されることが多く,喫煙の場合,1日に吸う本数に比例して冠状動脈疾患による死亡率が高くなることが報告されている。
動脈硬化や形成されたプラークとストレスの関係については,A型行動パターン(<1>何事もせっかちで,自分がやりたいと思うことはすぐに実行したい,<2>仕事熱心で,自分の能力の限界以上の仕事を背負い込み,次々に働き続けていないとかえって気が休まらないところがある,<3>敵愾心と競争意識が強く,こうと思えばとことん食い下がり,戦わなければ気が済まないところがある。)の人については,他の危険因子がなくても,他のタイプの人に比べて虚血性心疾患にかかりやすい危険性が2倍も多くなるという報告もあるが,これを否定する見解も見られるところであり,医学的に未だ解明されてはいない。
(二) また,夜勤を伴う交替制勤務は,交感神経系の活動が盛んな昼間に睡眠をとり,活動が衰える夜間に労働するという生活リズムに反する生活を余儀なくされ,さらに社会生活上の種々の不都合が加わり,睡眠不足あるいは栄養摂取不足等による病気への抵抗性の減弱が生じ,自律神経系や内分泌機能の平衡状態などが乱されて,身体不調を招く可能性が高いことが指摘されているところであるが,交替制勤務が健康に及ぼす長期的影響に関する研究で,夜勤を伴う交替制勤務者と常日勤者の会社入社時以降の追跡調査を20年間余り行った結果によると,循環器系の疾患では,交替勤務群では有病者が3.6パーセント,常日勤群では3.8パーセント,呼吸器系疾患では,交替勤務群では有病者が1.2パーセント,常日勤群では0.8パーセント,消火器系疾患では,交替勤務群では有病者が6.4パーセント,常日勤群では9.2パーセントとなったとの報告があり,右報告によれば,交替制勤務者と常日勤者との間に右各疾患について疾病発症率に顕著な差異はみられない。
(三) 東京都監察医務院の医師による突然死に関する統計では次のとおりである。
右統計での突然死は,心・血管系疾患が55.1パーセント(虚血性心疾患は全体の44.2パーセント),脳血管系疾患が23.1パーセントであり,その余はその他の疾患である。
疾病発症直前の状況は,健康群(既往症がなく,健康であると確信している者)の関係では,就寝中が33.5パーセント,食事中が1.8パーセント,飲酒中1.5パーセント,排便中4.2パーセント,家事・身支度中3.3パーセント,入浴中10.7パーセント,談話中1.8パーセント,性行為中0.5パーセント,精神感動・遊技・スポーツ観戦中1.3パーセント,作業労働中4.5パーセント,歩行階段昇降中3.1パーセント,乗車中2.2パーセント,休息・休憩中6.2パーセント,その他及び不詳23.4パーセントとされている。
右によれば,就寝中など特別な外的ストレスがなくても虚血性心疾患を起こすことも多く,虚血性心疾患の発症誘因を明らかにすることは困難である。
二 公務起因性の要件及び判定基準
1 地方公務員災害補償法31条,42条の「職員が公務上死亡した場合」とは,職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいうものであり,公務災害であるとするためには,右負傷又は疾病につき公務起因性が要求される。
そして,地方公務員災害補償制度は,使用者の支配下で労務を提供する過程において,その業務に内在ないし随伴する危険が現実化し,被用者がそのために負傷し,又は疾病にかかった場合等に,使用者の過失の有無に関わらず,その危険が現実化したことによる被災者の損失を定型的・定率的に賠償しようとする労働者災害補償制度と同趣旨の制度であるから,公務と死亡との間に公務起因性があるといえるためには,公務がなければ疾病等が発症しなかったという条件関係が必要であることはもとより,負傷又は疾病と公務との間に,負傷又は疾病が公務に内在ないし通常随伴する危険の現実化であると認められる関係,すなわち相当因果関係があることが必要である。
したがって,負傷又は疾病と公務との間に合理的な関連性があれば公務起因性があるとすべきである旨の原告の主張は採用することができない。
2 また,右相当因果関係の評価に当たっては,公務が疾病等発症の唯一かつ直接の原因である必要はなく,被災者に疾病の基礎疾患があり,その基礎疾患も原因となって疾病等を発症した場合も含まれると解されるが,右地方公務員災害補償制度の趣旨からすると,被災者が基礎疾患を有する場合には,当該公務が死亡の原因となった当該疾病に対して,他の原因と比較して,相対的に有力な原因となっていると認められることが必要であり,当該公務が単に疾病等発症の誘因ないしきっかけになったに過ぎない場合には,相当因果関係は認められないと解すべきである。
そして,公務が相対的に有力な原因であるというためには,被災者の業務内容,業務環境,業務量などの就労状況,基礎疾患の病態,程度などからみて,公務の遂行が基礎疾患をその自然的経過を超えて増悪させたと認められる程度に過重負荷となっていることが必要であるというべきである。そして,右過重負荷の判断にあっては,公務に内在ないし通常随伴する危険の現実化によって職員が負傷し又は疾病にかかった場合の損失を定型的・定率的に賠償しようとする災害補償制度の趣旨からすれば,一般通常人を基準として判断すべきであろう。
したがって,公務起因性が認められるためには,公務が他の素因などと疾病等発症についての共働原因であれば足りる,あるいは当該被災者を基準にその公務の過重性を判断すれば足りるとする原告の主張は,いずれも採用することができない。
三 太郎の死亡の公務起因性
右二の考え方に基づき,前記一の事実を前提として,本件につき公務起因性を検討する。
1 原告の主張の要点
原告は,昭和62年10月ころには高血圧症に罹患していた太郎が,中央分署における業務やその間の消防大学校における業務及びその後の南分署における業務による精神的・肉体的負担により,高血圧症及び高血圧症により罹患した冠状動脈硬化症を増悪させ,本件疾病発症直前の火災出動指令による起床,駆足走行等の急激な労作を内容とする業務によって,急性心筋梗塞が発症したと主張する。
2 太郎の公務と本件疾病の関係について
(一) 中央分署当時
原告は,中央分署勤務以降,太郎は,一昼夜交替・二部制の24時間隔日の交替制勤務を続け,休憩時間や仮眠時間であっても,緊急事態が発生すれば,出動指令にしたがって直ちに出動しなければならず,この勤務形態により,通常の日勤勤務者に比べて,常時,特に強い肉体的・精神的負担を受けていた,出動指令が下ると,精神的緊張は高まり,血圧及び脈拍が亢進する勤務であった,特別救助隊長の業務は,特別救助隊の責任者としての業務であり,非番日や休日においても右業務を遂行するため,先進都市や近隣都市へ出向いて訓練・演習等の情報収集を行い特別に強いストレスを受けていたなどと主張する。
しかしながら,救急救助隊の業務それ自体は,人命に関わる事件・事故について,緊急に対処しなければならない性質を有する業務であるから,出動時や実際の作業時,また訓練時においても精神的な緊張や肉体的な負荷をともなうものであるとはいえるが,通常,相当期間の経験により右のような精神的緊張や肉体的負荷には慣れていくものであり,また,太郎は,8週間で10日程度の休日があった(24時間勤務が連続する場合も,次の勤務までには丸1日分の時間が空く。)のであるから,右のような精神的・肉体的緊張にともなう疲労が,過度の負担となって太郎に蓄積されていたとすることはできない。
また,太郎が休日にも近隣の消防署などに情報収集に出かけていたことは前記認定のとおりであるが,同人は,桐生市のレスキュー隊に全国レベルの実力を付けさせることを目標として精力的に活動し,その様子は,原告の目から見ても楽しそうなものに見えたというのであるから,かかる太郎の活動が太郎に精神的・肉体的負担を強いる性質のものであったとすることはできない。
さらに,交替制勤務という勤務形態自体が,常日勤の場合に比べて,疾患の発症が高くなるとは必ずしもいえないことは,前記認定のとおりである。
そうすると,本件疾病発症との関係で,昭和62年当時からの中央分署での公務が太郎に過重な負担になったとすることはできない。
(二) 消防大学校当時
平成3年8月27日から同年10月22日までの消防大学校に入校していた当時の全60日弱のカリキュラムの中には,救助活動実技が16日間組み込まれていたが,右実技講習の目的は,救助業務の監督及び指導者として,安全確実な指揮・訓練方法を修得し,指導者,監督者としての資質の向上を図るためのものであったから,平素から特別救助隊員として活動している太郎にとって,精神的,肉体的に過度の緊張・疲労を強いるものであったとは認められない。また,右期間中,学生達は,早朝,1周約200メートルのグラウンドを3周程度ジョギングすることを日課としていたが,これは学生の自主的活動であり,太郎は実際には1周程度しか走っていないことからすると,右ジョギング自体が過重な負担といえるものではない。
(三) 南分署当時
太郎は,平成4年4月1日以降本件発症が起こった同年5月13日に至るまで,南分署に転勤して第2係総務係施設主任として勤務していた。その職務担当は,消防施設の管理などの事務職のほか,救急隊員も兼務していたので,救急事故発生時には救急車に乗車しての救急出動や,火災出動の際にはポンプ車(消火栓から水を汲み上げ,放水を担当するタンク車に給水するための車)の運転もしていたが,前記認定のとおり,実際の内容は,1日2時間ないし4時間の通信業務のほかは,広報や点検業務などの事務作業ないし比較的軽度の労作であり,本件発症前約1か月間では救急出動は12回程度あったが,太郎は昭和57年以来,十数年に渡(ママ)って特別救助隊員として救助出動の経験を有することからすると,右救急出動自体が肉体的に加重負担を伴うものとすることはできない。なお,このころレスキューの技術指導会の訓練も継続的に行われているが,太郎の当時の職務,年齢などを考慮すれば,太郎は技術指導会参加者の指導的立場のものとして関わったものと見られ,右訓練が太郎自身の肉体に負担がかかるものであったとする事情は見当たらない。
また,太郎の勤務状況をみると,死亡前1か月は,交替制勤務を継続して行っていたものの,1日おきに非当番日があったほか,合計8日間の休日(労休を含む。)があり,この休日を利用して太田市消防署などに出かけるなどもしていたのであるから,この期間の勤務をみても,肉体的に過重な負担を伴う業務であったとは認められない。
そして,太郎の死亡前日から当日に至る勤務状況,業務内容などを見ても,救助訓練や草むしりなど通常の業務に比して特に過重な負荷がかかるような事情は見当たらない。
(四) 太郎の危険因子
他方,太郎は,昭和58年ころから高血圧の状態にあり,特に昭和63年から平成2年にかけては収縮期血圧が160,拡張期血圧が100に至り,正常値を明らかに超え,高血圧の傾向は顕著であった。また,血液検査の結果も,昭和62年から一貫して精密検査を要する状態であったし,総コレステロール値も昭和62年から正常値を殆ど超えていたが,太郎は精密検査を受診することなく,本件疾病の発症に至った。
また,太郎は,喫煙の習慣を持ち,1日に2箱ないし3箱(40本ないし60本)を吸ういわゆるヘビースモーカーであり,その他にも身長が170センチメートルであったのに体重は86キログラムであり,肥満の傾向があったといえる。
また,太郎は,学生時代にあっては陸上やバレーボールなどの運動をしていたが,消防士となってからは,訓練時のジョギングに際しても,少し走ると顔を赤くして肩で呼吸するほどに体力の減退が見られたところである。
このように,太郎は,高血圧の傾向,高脂血症,多量の喫煙の習慣,肥満傾向,運動能力の低下など複数の虚血性心疾患ないし動脈硬化症の危険因子がいずれも改善傾向を示すことなく顕著に見られること,また,太郎は,平成3年12月31日ころには,山道を登ると,何回か立ち止まり呼吸を整えなければならない状態となり,平成4年5月7日に行われた消防署の月例訓練の際には,顔面蒼白として,かなりの汗をかき,息苦しい様子であったことなどからすると,同人は,本件疾病発症当時には,動脈硬化症が相当進行し,心筋梗塞の発症,急死に至る高度の危険性が存在していたものと推測される。
3 以上を総合勘案する。
太郎の虚血性心疾患ないし動脈硬化症の危険因子は,かねて高血圧,高脂血症,多量の喫煙習慣,肥満等があった上に,昭和62年ころには,血液検査の結果でも精密検査を要するとされながらこれを受検せず,平成3年当時は,ジョギングをしても顔を赤くし,肩で呼吸するほどの状況であったし,山道を登るにも何回も立ち止まって呼吸を整える必要を生ずる状況であり,妻である原告から人間ドックに入ることを勧められながら,これも受検せず,平成4年の月例訓練においても顔面蒼白となり息苦しい様子を示すなどしたものであるから,太郎の動脈硬化症は相当程度進行し,心筋梗塞の発症,急死に至る高度の危険性が存在していたものと推測され,これが,本件疾病発症時の救急出動を契機として心筋梗塞に至ったとみることができる。
そして,太郎の勤務状況は,勤務日と非番日が交互にあった上に,非勤務日もあったのであるから,医師による診察を受けられない状況にあったとは考えられない。
たしかに,仮眠中に救急出動指令を受けて,救急出動をすること自体は,相当程度の緊張を要し,肉体的,精神的負担を強いられるものであることは予想されるが,太郎はそのような勤務を継続していたのであるから,これが過度の緊張を要するものであったとみることはできないし,本件疾病発症に至る前の勤務状況も精神的負担を強いるものであったとはいえないことも既にみたとおりである。
以上によれば,太郎に発症した急性心筋梗塞は,太郎の有する体質的素因の自然的増悪が有力な原因となって生じたものとみることができ,本件疾病について,公務の遂行が相対的に有力な原因であったと認めることはできない。
結局,公務と本件疾病との間に相当因果関係は認められない。
4 なお,石川博医師(<証拠略>),伊木雅之医師(<証拠略>),長谷川吉則医師(<証拠略>)は,いずれも,本件疾病は,前記交替制勤務や南分署への転勤等の状況から生じたストレスが原因となっているとするところ,精神的ストレスと動脈硬化の増悪,プラークの形成については医学的に解明されていないところであるが,仮に,一般的に,精神的ストレスが動脈硬化の増悪,プラークの形成の危険因子になり得るとしても,前記認定の勤務状況等に照らすと,太郎が公務遂行の上で形成したストレスは,特に過重なものとはいえないものであることは既に判示のとおりであって,右各意見は,その前提が異なるものといわざるを得ず,これらを採用することができない。
第四結論
以上によれば,原告の本訴請求は理由がない。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田村洋三 裁判官 舘内比佐志 裁判官 齋藤巌)
別紙1 平成4年1月~5月の出勤状況
<省略>
別紙2 発症前1か月の勤務状況
<省略>